広島車掌区
券種 | 図版 | 解説 | |
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車内片道乗車券 |
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呉線用と可部線用が確認されています。 【呉線用】様式は駅名入鋏式ですが、複写式になっていて発駅と着駅を丸で囲んで発行しました。 広島車掌区には車内改札鋏しか設備されていなかったからでしょうか。 それとも、印を付ける方が発行しやすいのでしょうか。 【可部線用】1974年(昭和49年)1月15日限りで可部線管理所が廃止され、翌日から業務が移管され車片も受け継ぎました。 鋏も一緒に移管されたのか、入鋏式の車片です。発駅、着駅は車片廃止まで同じでした。1979年(昭和54年)運賃改定の後期券から字模様が淡黄褐色に変更されました。 淡黄褐色の車片は珍しく、他に確認されているのは、四国の特殊様式の車内片道乗車券があります。 車掌さんの話では、この色の方が見やすいとのことでした。 1984年(昭和59年)3月31日限りで、廃止され翌日から駅名式の車内補充券が設備されました。 |
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車内急行券 | 準 急 |
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1957年(昭和32年)4月1日料金改定の券から確認されています。1等券も存在しましたが、詳細は不明です。実券や情報をお寄せください。 |
普 通 |
1957年(昭和32年)4月1日料金改定の券から確認されています。1962年(昭和37年)に発行された券に印刷された『乗車駅』を見ると東京から博多まで乗務していたと思われます。その後、熊本、長崎、佐世保と乗務区間が拡大されたようです。1970年(昭和45年)10月1日に規則が改定され、急行の自由席は100kmまでという制限が解除された券では東京が削除され、山陰本線の米子が追加されました。また、急行の停車駅も増えましたので乗車駅も増えました。70年代の券はコレクションが少なく不明ですが、80年代になると急行の減少に伴いまして、『乗車駅』も減ってしまい、遠方の駅はなくなりました。70年代、JRについての実券や情報をお寄せください。 |
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特 別 |
1965年(昭和40年)10月1日に自由席特急料金が制定されました。同日から運行開始した『しおかぜ号(新大阪〜広島)』の自由席特急券が確認されています。1968年(昭和43年)9月30日限りでしおかぜ号が廃止され、翌日から『しおじ号(新大阪〜下関)』が誕生しましたので、『しおじ・はと号自由席特急券』となりました。 1974年(昭和49年)10月1日料金改定の券には列車名がありません。特急の自由席が増えたためでしょうか。これ以降の券は所有しておりませんので、不明です。実券や情報をお寄せください。 |
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車内乗換券 |
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未確認です。 | |
車内上級変更券 |
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未確認です。 | |
車内特別車両券 |
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コレクションが少なく、詳細は不明です。実券や情報をお寄せください。 |
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車内座席指定券 |
1960年(昭和35年)7月1日規則改定の券から確認されています。1965年発行の券には下車駅が印刷されております。1等券も確認されています。1970年(昭和45年)10月1日に規則が改定された後の券の下車駅は少なくなり、列車名が印刷されています。これ以降の実券や情報をお寄せください。 |
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車内補充券 | 駅名式 |
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広島鉄道管理局の特殊区間用特別補充券(駅名式大人小児用)は複写式の異様式ですが、設備の根拠となる規程は不明です。ご存知の方はご教示ください。可部線用と岩徳線・岩日線用の2種類が確認されています。 【可部線用】1984年(昭和59年)3月31日限りで、可部線用の車片廃止されたのを補い翌日から設備されました。可部線の他、山陽本線、呉線の主な駅が記載されていました。1990年(平成2年)ころにPOS化されて、この券が廃止されるまで表面には大きな変更はありませんでした。裏面は規則改定や駅の開業、路線の廃止などに伴って変更されました。 【岩徳線・岩日線用】1986年(昭和61年)10月31日限りで徳山派出所が廃止され、翌日から業務が移管されたのに伴い補充券も移管されました。1987年7月24日限りで岩日線(川西駅〜錦町駅)が廃止され錦川鉄道になったことにより、錦川鉄道の駅には(社)と表示して、右にまとめられましたが駅の加除は少しでした。 【芸備線用】三次列車区の券を流用したものが確認されていますが、流用されていきさつは不明です。発行時期がPOS化されるちょっと前ですので、残らないようにしたのかもしれません。事情をご存知の方はお知らせください。 |