大阪市(路面電車)
券種 | 図版 | 解説 | |
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乗車券 | 市電用 |
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準備中 |
連絡用 |
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最初は次のとおり、バスとの連絡券から始まったようです。 「路面電車とバスの連絡券制は昭和6年10月よりバスから電車への乗継券(3錢)として発行し、新市方面への乗客に対し非常に便利を与え、相当成績を上げたが青バスとの料金競争となったので、同年12月末日限りこれを廃止した。」引用元(*大50)
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車内乗換券 | 通常用 |
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料金制度は区間制から出発しましたが、路線・運転系統が増えるにしたがい、区間制では車内の取扱が不便になったため、1912年(明治45年)1月12日から均一制に移行しました。 これに伴い乗換券が制定されました。(*大50、*大廃) 通常は券に、あらかじめ日付が印刷されたものを使用しますが、営業中に日付入りの券を使い切ってしまった場合の予備として、日付が入っていない「予備用」が存在しました。(*大50、*大廃) この様式は「地図式」のみ見たことがあります。
最初の様式は、行先、乗換場所とも駅名や停留所名が表記された「駅名式」でした。
1920年(大正9年)から、行先は路線図(地図)、乗換場所は駅名や停留所名で表記された、「駅名・地図併用式」になりました。
さらに、1925年(大正14年)からは、行先も乗換場所も路線図(地図)で表記された、「地図式」となりました。 十五年戦争の末期(太平洋戦争)の戦局が逼迫してきた1944年(昭和19年)6月1日から、乗車券の取扱を簡素化するために、料金制度を「系統乗切制」としました。 これに伴い、乗換券は廃止されました。(*大50、*大廃) 【駅名式】この様式の刷色には、何色かあったようですが、使い分けは不明です。「黒色」、「赤色」、「緑色」、「青色」を見たことがあります。 日付は基本的に「年月日」で表記されますが、「日」のみの券が存在しますが、詳細不明です。 「のりかへ」の部分は、「数字」→「駅名・停留所名」→「数字」と変化しています。数字は乗換の回数かと思われますが、確証がありません。 日付は漢数字でスタートしましたが、途中から算用数字に変わりました。しかし、次の「駅名・地図併用式」では、漢数字に戻っているので、スペースの都合かも知れません。 【駅名・地図併用式】様式に大きな変化はありませんでした。縦長のスペースにもかかわらず、日付が算用数字になりました。 また、1923年(大正12年)5月から、裏面に広告を印刷するようになり(*大廃)ましたが、期待するほどは集まらなかったようで、広告はあったりなかったりしていました。 【地図式】日付が加刷されるようになり、午前用(赤刷りに日付は青色)と午後用(黒刷りに日付は赤色)の区別ができました。 また、運輸事務所ごとに用意されて、担当系統が太線になり、運転系統の符号が表示(右上)されました。 1930年(昭和5年)に、広告を裏面の他に表面の左に掲載する試みがあったようです。その後も存在したかどうかは不明です。 1932年(昭和7年)には、日付が袋文字になりました。 戦局と関連したのだと思いますが、物資節約のため券のサイズがだんだん小さくなり、日付は午前用も午後用も青色に統一されました。 |
式典等 |
記念券(存在未調査)とは別に、通常の乗換券に加刷して、慶事や弔事などに対応した券が使用されていました。皇室関連が主なようですが、海軍のものも確認されています。 【慶事対応券】国事レベルのものには、日の丸と「奉祝」や「奉迎」などの語句が加刷されていますが、それ以外では語句のみで旗はありませんでした。刷色は午前用の券は青、午後用の券は赤でした。観艦式対応のものには、海軍なので日の丸と旭日旗が加刷されていました。 【弔事対応券】明治天皇、大正天皇の大喪の礼に対応するものがありました。弔事なので黒で縁取りがされています。 |
車内乗車券など
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連絡用乗車券
これらの券は、調査不十分です。情報をお待ちしております。
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路線図
ここに路線図歴史
準備中