このページの図版は、黄ばみの補正をしていますが、元の色合いが不明のため、再現性は疑問です。
29(S04).06.01.
様式変更
出張所の識別 刷色⇒出張所名表示
4.−6.−1〜
4.−8.31
出張所の判別が「番号」+「刷色」から名称になりわかりやすくなりました。
変更時期は不明ですが、確認されている番号表記の券は【4.5.30】で、出張所名表記の最初の券は【4.6.1】ですので、その日に変更されたと断定できます。
この変更理由は不明ですが、それまで一致していた「運行系統番号」と「出張所番号」が、1913年(大正2年)頃から一致しなくなってきたことに因るのではないかと考えています。
特に停留場が新設されたわけでもないのに、記載された停留場が増えていますが、わかりやすさを意識したのかも知れません。
また、「吾西」と「吾東」の間は、点線になっていますが、この頃は関東大震災のため架替中で1931年(昭和6年)6月に復旧しました。 (*道路WEB)
しかし、疑問点があります。出張所番号表記の最終券では、サツマが三田、芝浦が芝橋と停留場の改称に伴って、表記が変更されているのに改称前に戻ってしまいました。
変更: 吾西〜吾妻(実線⇒点線)
追加: 霊ガン、 徳右、 一ノ橋、 台町、 赤十、 青五、 大車、 北町、 湯五、 清水、 氷川、 一高、 八重、 坂二、 吉野町
変更: 永楽⇒丸ノ内(昭和4年に改称(*鉄旅))、 白金猿⇒猿町、 芝橋⇒本芝、 三田⇒サツマ
追加(表題): 乗換時刻 午前、 午後
削除: 地図の区分線(4区分)
変更: 出張所番号⇒出張所名
時期不明
29(S04).??.??.
停留場の改称(*鉄旅)
青山七丁目⇒青山車庫前
29(S04).08.10.
路線の開業(ルート変更)(*鉄旅)
小川町〜佐柄木町〜両国
29(S04).09.12.
本所表町〜原庭町
29(S04).12.19.
土橋⇒新橋駅北口
4.−9.−4〜
4.12.23
使用開始は不明ですが、乗換券の発券期日から1929年(昭和4年)9月1日から同年9月4日の間と推定できます
青山七丁目が青山車庫前に改称されましたが、参考文献では時期不明です。先行印刷の例もありますので、推定が難しいです。
関東大震災の復興の一環として、靖国通りが整備されるのに伴い、小川町から両国の区間が靖国通りに移設されました。 それに合わせて、神田川の両岸(南北)にあった万世橋停留場の南側が廃止され、券面の表記が「万世北」から「万世」に変更されています。 さらに、旧線の和泉橋停留場が廃止されて新線上に岩本町が開設されましたので、券面の表記が「和泉」から「岩本」に変更されています。
ルート変更に伴い、駒形橋から吾妻橋東詰めの区間が廃止され、新たなルート上に原庭町が開設されました。(先行印刷)
土橋停留場が新橋駅北口と改称されました。(先行印刷)
変更: 外出〜吾東〜業平⇒ 外出〜原庭〜業平
追加: 佐柄木
削除: 万世南
変更: 青七⇒青車 万世北⇒万世 和泉⇒岩本 吾東⇒原庭 土橋⇒新橋北
29(S04).11.01.
路線の開業(*鉄旅)
国技館前〜両国橋駅前
5.−1.−9〜
5.−4.28
国技館前から両国橋駅前まで開通しました。後に国技館前は東両国二丁目、両国橋駅は前は両国駅前に改称されました。
しかし券面を見ると、「両国−○」となっていますが、この時期では「国技館−○」がふさわしいと思います。
文献(*鉄旅)によりますと、1929年(昭和4年)頃に「両国駅前」から「国技館前」に改称され、1930年(昭和5年)には「東両国二丁目」に改称されていますので、「国技館」の期間は短かったためかとも思われます。
もしかしたら、「国技館−○」の券が存在するのかもしれません。
追加: 両国〜○
土橋⇒新橋駅北口(29hで反映済み)
数寄屋橋〜銀座六丁目〜新橋駅北口(反映遅れ)
5.−1.31〜
5.−3.24
券面にしたら、ほんの僅かな違いで発券に影響ないと思われますが、忠実に対応しています。 とは言っても反映が遅れていますので、後で気づいて訂正したのかもしれません。
さらに見ていくと、この様式は広尾出張所のみで確認されています。発券期日が同じ他の出張所では、変更されていません。
書式変更(停留場)
枠囲み
30(S05).09.03.
路線の開業(*都60*鉄旅)
猿江裏町〜千田町〜東陽公園前〜洲崎
5.−5.−3〜
5.10.29
この様式になった時期は不明ですが、確認できている前様式の最新日付とこの様式の最新日付から、5月初めと推定できます。
停留場を枠で囲んだために、見やすくなりました。そのぶん、スペースが不足するためか、途中の停留場の多くが省略されました。 そもそも、途中の停留場は「乗換」に無関係ですが、案内の意味があるのかもしれません。
主な停留場は、太枠でさらに見やすくなっています。この時代は、明治神宮は特別なのですね。角丸四角で囲んであります。
左上の四角が不明ですが、備考のようにして何か記入したのでしょうか。用途が不明です。
追加: 猿江≈≈≈須崎
追加: 表町
削除: 北町 一高 湯五 一ノ橋 台町 坂二 吉野町 両国〜○ 新佃
変更: 青車⇒青山 青五⇒明治神宮 大車⇒大久保 駒車⇒駒込 九上⇒九段 飯一⇒飯倉 サツマ⇒三田 本芝⇒芝浦 車坂⇒上ノ駅 銀四⇒銀座
比較
追加: 北町 一高 湯五 一ノ橋 台町 坂二 吉野町 青五 大車
変更: 三田⇒サツマ 芝橋⇒本芝
追加: 停留場囲み枠 左上記入枠
30(S05).06.16.改称(反映)
停留場の改称
亀沢町⇒緑町一丁目
30(S05).08.15.改称(反映)
原庭町⇒吾妻橋一丁目
30(S05).08.27.
組織改編(*わ都)
出張所⇒営業所
30(S05).12.22.(先行印刷)
路線の営業再開
吾妻橋西詰〜≈〜吾妻橋一丁目
5.11.17〜
6.−4.15
この様式になった時期は不明ですが、確認できている前様式の最新日付と新様式の最新日付から、10月終わりから11月と推定できます。
関東大震災以来休止中だった「吾妻」から「原庭」の区間が点線から実線に戻りました。吾妻橋の復興は翌年ですので、市電のみ先行復旧したのかもしれません。 それに伴い、仮営業中だった駒形から表町が、仮営業終了となり、路線図から削除されました。さらに、乗換停留場の表町も削除されました。
理由は不明ですが、新橋北のループ線が省略されました。ちなみに、東京駅のループ線は次の様式で削除されました。
変更(吾妻〜原庭): 点線⇒実線
削除: 駒形〜≈〜表町
削除: 表町
変更: 亀沢⇒緑町、 吾妻⇒吾妻橋、 原庭⇒吾妻
31(S06).04.01.
ダイヤ改正(*都80)
運転系統大改正
サイズ縮小
その他これまでの変更を反映
6.−6.20〜
7.11.24
コストカットのためでしょうか? サイズが小さくなりました。変更時期は不明ですが、確認されている前様式の最新期日は昭和6年4月15日で、新様式の最初の期日は昭和6年6月20日です。
向島まで開業したことを受けて、地図が変更されています。分岐点が吾妻橋二丁目になるために、従来「吾妻」と表記していた、吾妻橋一丁目は「吾妻一」、分岐点は「吾妻二」となりました。
他には、反映が遅れていた停留場の改称が反映されています。
追加: 31(S06).03.23.開業 吾妻二〜向島(*都80*鉄旅)
削除(省略): 東京駅ループ線
変更 30(S05).12.25.改称 国技館前⇒東両国二丁目(*都80) 30(S05).12.25.改称 外出町⇒厩橋一丁目(*都80) 表記変更 吾妻⇒吾妻一
32(S07).10.19.
停留場の改称(*わ都)
芝口⇒新橋
この期間の券が未見のため、反映時期は不明です。
32(S07).12.15.
宇田川町⇒浜松一丁目
桜田本郷町⇒田村町一丁目
本石町⇒室町三丁目
8.−1.−5〜
8.12.16
左に記した改称以外に、浅草駅前への路線の廃止や、東両国緑町への改称が反映されています。 浅草駅前への路線は、昭和6年に東武鉄道が現在の浅草駅まで開業したため、終点ではなくなり需要が減ったのかもしれません。
削除: 31(S06).09.02.限廃止 業平〜浅草駅(*鉄旅)
変更: 30(S05).12.25.改称 緑町⇒東緑(*鉄旅) 宇田⇒浜一 桜田本⇒田村一 本石⇒室三
33(S08).11.06.
白金猿町〜五反田駅前
昭和8年12月17日の券では、反映されていませんので、バスとの連絡制が開始されてから反映したと思われます。
路線の開業(*都60)
白金猿町〜五反田
33(S08).12.21.
規則改定(*都80)
電車とバスの相互連絡制制定
−8.12.22〜
−9.−3.15
文献からの抜粋です。
市バスは不振からの脱却を期して8年11月〜省略〜電車との連絡運輸、〜省略〜9年度には早くも500万円近い収入をあげ、赤字を解消して〜。(*都80)
様式としては、日付が表面に加刷されるようになり、バス路線は赤実線で表記され、連絡停留場は赤丸で表示されています。一見カラフルですが赤色の印刷がずれていることが多く、目がチカチカしてしまいます。
路線や停留場の変更は、「変更点」からご覧ください。なお、3区間が鎖線になっている理由は不明です。
追加: ・〜五反田 ・巣鴨〜板橋(鎖線) ・駒込〜飛鳥山(鎖線) ・千住大橋〜千四(鎖線)
追加: ・東京駅
変更: ・佐柄木町⇒淡路町 ・亀戸⇒天神
8.12.22〜
8.12.29
基本的に電車用と同じ様式ですが、営業所名と注意が朱色になっています。また、注意の文言が異なっています。
日付:年月日(左・小)
−9.−4.29〜
−9.−6.−5
日付が大きくど真ん中に表示されては路線が見にくかったのではないかと思います。日付が小さくなり左端に移動しました。停留場に●がありますが、理由は未調査です。
乗換停留場「北富坂」が表示されています。事由としては右下に、「遊覧」が追加されています。今で言う「定期観光バス」のようなものでしょうか。
乗換時間が朱色になり、注意が黒色になりました。
34(S09).08.30.
停留場の改称(*都80)
猿江裏町⇒住吉町二丁目
−9.−6.15〜
10.−2.21
停留場の改称に対応しています。
電車用と同じです。
路線の開業(バス)
町屋〜尾竹橋
10.-2.17〜
11.-6.15
バス路線の変更に対応していますが、尾竹橋延長以外は情報がありません。渋谷から渋谷車庫までが消えていますが、すぐに復活していますので、一時的な廃止なのかエラーなのか不明です。
詳細は「変更点」や「別画像」でご確認ください。
追加: ・〜尾竹橋 ・〜田町二〜吾妻橋 ・厩一〜○ ・抜弁天〜東大久保 ・新三〜西大久保
削除: ・〜駒形 ・渋谷〜渋車
バス路線:朱実線⇒黒点線
37(S12).06.01.
路線の開業(バス)(*都80)
御茶ノ水〜帝大農学部
12.−7.−1〜
コストカットでしょうか、バス路線は黒点線、乗換停留場は二重丸「◎」になりました。
乗換以外の電車停留場は「○」「◉」「●」の3種類がありますが、違いは調査不十分のため不明です。
追加:
未所有なので推定です。各営業所の担当系統のみ太線で、それ以外のバス路線は表示されなくなりました。
追加: 追加事項 2行目
削除: 削除事項
変更: ⇒変更事項
様式変更(規則改定?)
事由:事故追加
事由に「事故」が追加されて、「遊覧」が左上に移動しました。
また理由が不明の鎖線の区間が実線になりました。
変更(鎖線⇒実線): ・巣鴨〜板橋 ・駒込〜飛鳥山 ・千住大橋〜千四
事由追加: ・定期 ・事故
電車用と同様です。
36(S11).10.01.
定期券制定(反映)
推定できず
昭和11年の運賃改定で、定期券が制定されました。それが反映されたと思います。
事故⇔遊覧
使い勝手でしょうか、事由の「遊覧」と「事故」位置が入れ替わりました。
ここまで、バスが黒点線になった3つの様式の日付の書体に違いがありますが、「年」が表示されていないため、その理由や使用期間は未解明です。
38(S13).11.01.
路線の受託(*都80)
渋谷駅前〜渋谷橋〜天現寺橋
渋谷橋〜中目黒
13.11.−9〜
14.−3.10
東急天現寺線と中目黒線の経営を受託したことに対応しています。
事由の定期が有料と無料に分けられ、表示位置が左下に移動しました。右下に「臨時」が追加されましたが、使用方法は不明です。
バス路線に追加があります。
追加: ・渋谷〜渋谷橋〜天現寺 ・渋谷橋〜中目黒
追加(バス): ・小滝〜東中野 ・〜西新井橋 ・柳島〜平井
以下、東京急行電鉄50年史からの抜粋です。
玉川線の玉電ビル2階への乗り入れ工事に伴い、東横百貨店前で天現寺線(中目黒線を含む)を打ち切り、分離運転をすることとなった。 分離時には玉川線の車両11両を投入したが、それ以後は東京市電の車両を借用することとした。〜中略〜
その後、昭和13年11月1日から、天現寺・中目黒両線の経営が、東京市に委託されることとなった。
38(S13).10.14.
未成線の譲受(武蔵野鉄道から)(*都80)
護国寺前〜池袋駅前
39(S14).04.01.
路線の開業(*都80)
39(S14).04.07.
八重洲橋⇒東京駅東口
14.−6.−1〜
14.12.27
市電が池袋に達するのが遅いと思っていましたが、武蔵野鉄道が免許を持っていたのです。
護国寺から池袋駅前まで開通したことに対応しています。バス路線も増えています。
追加: ・護国〜池袋
追加(バス): ・池袋〜 ・一ツ橋〜専大前 ・金杉〜日暮里四 ・墨田堤〜玉ノ井 ・豊住〜南砂町 ・芝浦〜汽船
遊覧⇒巡拝
15.−2.−6〜
15.−6.25
事由の「遊覧」が「巡拝」に変わっています。中国で戦争をしているときに、「遊覧」という表現は適さなかったのかも知れません。
削除(バス): 逢初〜肴町〜カコ
追加: 渋車
変更: 駅東口⇒駅東 西新井橋⇒西新井 千住車庫⇒千住 大島車庫⇒大島 不動前⇒不動
北品川〜東品川ほか
15.10.18〜
16.−1.10
バス路線が増えています。
小型化
16.−1.30〜
16.−7.−5
資源が不足してきたのでしょうか。左の注意事項を無くして小型になりました。
1932年(昭和7年)から1947年(昭和22年)までの期間、存在した城東区の地名が見られます。
玉ノ井の名称については、当時からいろいろな意見があったのでしょうか。暫くして、玉ノ井に戻っています。 ちなみに、昭和の終わり頃に東武鉄道の玉ノ井駅が東向島駅に改称されています。
追加(バス): 南砂町〜城東区役所〜大島七
変更: 玉ノ井⇒吾妻西九(玉ノ井)
41(S16).01.01.
亀住町⇒深川二丁目
41(S16).頃
芝橋⇒東港口
北富坂⇒桂町
停留場の表記変更
材木町⇒材木
16.−8.21〜
17.−1.31
左欄の駅名改称に対応しています。
東京港の開港は1941年(昭和16年)5月20日ですが、停留場の改称時期は不明です。
42(S17).02.01.
交通調整(*都80)
旧市内路面交通事業8社10事業を統合
東京地下鉄道(旧城東電軌)、王子電軌、西武鉄道ほか
17.−2.−2〜
17.12.17
路面統合を受けて、路線が大幅に追加されています。詳細は「変更点」や「別画像」をご覧ください。
追加: ・西スガモ〜下板橋
削除: ・柳島〜
変更: ・板橋⇒下板橋 ・市役所⇒市役 ・吾妻西九(玉ノ井)⇒玉ノ井 ・深二⇒深一
追加: ・錦糸堀〜西荒川 ・水神〜東陽公 ・東荒川〜今井
追加: ・水神〜東荒川 ・〜西荒川 ・東陽公〜今井 ・〜宇キ田〜浦安
追加: ・ミノワ橋〜早稲田 ・王子〜赤羽
追加: ・ミノワ〜池袋 ・〜ウグヒス ・熊ノ前〜 ・〜成立
追加: ・新宿〜荻窪事項
追加: ・本町通二〜東中野 ・〜堀ノ内〜代田橋 ・荻窪〜荻窪三
追加: ・豊島〜音九 ・矢来〜北町 ・〜柳〜 ・若松〜 ・新一〜 ・〜麹四〜 ・平川〜内幸〜 ・旭町〜新町〜 ・神宮前〜神宮橋 ・比立〜高樹町 ・〜豊沢〜 ・魚ラン〜田町 ・日吉〜伊皿子〜 ・品川駅〜 ・五反田〜 ・札辻〜天王洲 ・田町付近 ・田町〜 ・〜芝浦
以下、東京都交通局80年史からの抜粋です。さらに詳しい内容は、こちらをご覧ください。
こうした交通調整をめぐる議論が高まるなか、日中戦争の戦火は中国本土に拡大した。 これにともない政府は、いよいよ国家主義的戦時体制の確立を急いだ。 近衛文麿内閣は陸上交通事業調整法案を作成し、13年3月、国家総動員法の制定された第73議会に提出し、3月22日に可決された。 こうして陸上交通事業調整法(陸調法)は4月2日に公布され、8月1日から施行されることになった。以下省略
昭和16年(1941)7月の地域調整の決定により、東京市は旧市内の路面交通機関をすべて統合することとされた。 このため、東京地下鉄道の軌道およびバス全線、王子電気軌道の軌道およびバス全線、 大東京遊覧自動車・東京環状乗合自動車・城東乗合自動車のバス全線、東京横浜電鉄・京王電気軌道・葛飾乗合自動車のバス事業の一部、〜以下省略
42(S17).10.11.
規則改定(*わ都)
24時制実施
17.12.-2〜
17.12.28
陸海軍に合わせて、24時制が採用されました。裏面の広告に24時制を見ることができます。
前後の様式と発券期日がかぶっていますが、営業所からの印刷依頼のタイミングによるのかも知れません。
次の広告は10月15日に大塚営業所の乗務員が発行したものですが、表面は前様式です。
路線の変更(バス)?
宇キ田〜≈〜今井
東陽公〜≈〜袖
17.12.18〜
18.−5.29
左記のバス路線が削除されていますが、詳細は不明です。
営業所名の部分が「バス」となっています。営業所共通様式になった時期は不明です。
43(S18).06.01.
様式変更(*わ都)
乗車券と乗継券を一本化
簡素化・合理化のためかと思われますが、電車の乗車券と乗換券を一本化しました。そうすることによって、乗換が必要な乗客にも「1枚の券」で済むようになりました。
乗車券の部分は「電車乗車券 10錢」で、それ以外は乗換券です。簡素化ですので、バス路線はありませんが、相互連絡制がどうなったのかは不明です。
ちなみに、回数券も同様の様式です。タイトルが回数券で運賃が無く青刷りです。さらに、用途が不明ですが、補助券というものが存在し、青刷りで両サイドに青帯があります。
以下、東京急行電鉄50年史からの抜粋です。
玉川線の玉電ビル2階への乗り入れ工事に伴い、東横百貨店前で天現寺線(中目黒線を含む)を打ち切り、分離運転をすることとなった。 分離時には玉川線の車両11両を投入したが、それ以後は東京市電の車両を借用することとした。〜中略〜
その後、昭和13年11月1日から、天現寺・中目黒両線の経営が、東京市に委託されることとなった。